tonuyaは、わたしの生まれ育った沖縄にあった、祖父母の家の屋号です。古いむーとぅやー(本家)で、漢字では「桃の家」。沖縄方言では、「とーぬやー」と書きます。
太陽の光にいつも包まれていた、大好きな家でした。畳の香りに癒やされながら、大きな蚊帳を張って、いとこ同士でお泊まり会をしたこと。当時には珍しかった広い洋間で、宿題をしたり、歌ったりしたこと。朝、玄関の木の戸を開けるたび、上からヤモリが落ちてきて悲鳴を上げたこと。
自然が大好きだった父が丁寧に手入れをしていた庭を、縁側に座ってぼんやり眺めていた時間。お仏壇のある部屋で隠れんぼをしたり、お昼寝をしたり。をばぁといっしょに「水戸黄門」を見たことも、今では静かな思い出です。
とーぬやーの縁側には、いつも人がいました。
をばぁとおしゃべりをしに来る近所の人。頭に大きなタライを乗せた魚屋さん。自転車に乗ってやって来る、アメリカ人の若い宣教師のお兄ちゃんたち。
今思うと、をばぁは昔から、自然にボーダレスの世界を生きていたのかもしれません(笑)。
広い台所も、お気に入りの場所でした。行事のたびに、当番の部落のおばちゃんたちが集まって料理を作り、わたしは妹たちと古い木の床に座って、鰹節を削ったり、トマトにザラメをつけて丸かじりしたり。をばぁの横で体育座りをして、たわいもないおしゃべりをする時間も好きでした。
とーぬやーの隣には、トタン屋根の父の空手道場がありました。稽古のあとは、をばぁが沸かしたてのお茶と黒ザーター(黒砂糖)を、いつも持って来てくれました。
空手の稽古が終わると、生徒たちみんなで、井戸の手動ポンプをコキコキ動かしながら水をくみ、冷たい井戸水で手足を洗ったことも。道場の横にあったポットン便所(汲み取り式便所)は、子ども心に少し怖くて、「いつか手が出てくるかも」と本気で思っていました。
2001年、渡米して間もなく、ばぁは、おじぃのいる場所へ旅立ちました。最後まで、とーぬやーで、大好きな家族に囲まれて。
沖縄のとーぬやーは、もうありません。それでも、わたしの中では、今も生き続けています。
決して人をジャッジせず、やさしく、強く、自分軸に立って生きていたをばぁ。その愛がたくさん詰まった家の名前を、このブログのタイトルにしました。
書くことで、本質の自分とつながる時間を、これからこの場所で少しずつ育てていきたいと感じています。
