なぜ文章を書くのだろう……。
最近、あらためてそんなことを考えていました。やっぱり、書くことが好きだから。
口で話すよりも、文章にすることで、感謝の気持ちや、まだ言葉になっていない感覚を、丁寧に見つめられる気がします。そして、静かに「今の自分」と向き合えるから。
日本語の「言霊」という響きも、昔から好きです。言葉は、使い方ひとつで、誰かを笑顔にすることもあれば、深く刺さってしまうこともあります。
若い頃は、冷たい言葉を使ってしまったこともありました。でも今思うと、それは誰かを傷つけたかったというより、自分を守りたかったのだと思います。
アメリカ生活のストレスで、心も体も思うようには動かなくなった時期。そんな自分を、受け入れられなかった頃もありました。それでも、書き続けていたからこそ、少しずつ自分を癒やし、整えてこられた気がしています。だからこれからも、きっと書き続けます。
子どもの頃、沖縄の祖父母の家には、本好きだった母の本棚がありました。太陽の光が差し込む廊下で、ぎっしり並んだ本を前に、「次はどれを読もう」と考える時間が大好きでした。
その頃、特に惹かれていたのが、いわさきちひろさんの絵本です。内容というより、水彩画のやわらかな空気。
畳の上に座り、窓から入る風を感じながら、何度も絵本を開いていた記憶があります。今思うと、文章で表現したい空気感も、あの頃に触れていたやさしい色や光と、どこかつながっているのかもしれません。
以前は、「毎日更新しなきゃ」と力が入っていた時期もありました。SNSの反応や、「いいね!」の数に気持ちが揺れることも。でも今は、誰かに認められるためというより、「書くことで整う感覚」を大切にしたいと思っています。大切なのは、「今の感覚」を置いていけること。
沖縄の友人から、以前こんなメッセージが届いたことがあります。
「まーきーの文章は、とうとう私に老眼鏡をかけさせた。」
思わず笑ってしまったけれど、本当にうれしい言葉でした。たくさんの人に届くことよりも、誰かの心に静かに残ること。そんな言葉を書いていけたらいいなと思います。
最近は、「今ここ」を意識しながら過ごしています。以前は、目の前とは関係のない不安や考えごとが、頭の中をずっと巡っていました。でも今は、小さな出来事の中にも、ちゃんと豊かさがあることに気づけるようになってきました。キャンプ中、ふらりとサイトへやって来た猫。そんな小さな出来事にも、自然と心がほどけます。
一喜一憂せず、外側に振り回されすぎず、軽やかに、自分の軸で生きること。でも、それを「がんばって手に入れる」というより、毎日を丁寧に過ごしていたら、気づけば自然にそうなっていた。そんなあり方が理想です。
子どもの頃の私は、空手をしたり、木登りをしたり、とにかく体を動かすのが大好きでした。同時に、お仏壇の前で寝転びながら、庭の植物や空を、ぼんやり眺めている時間も好きな子どもでした。
何かになろうとしなくても、ただそこにいるだけで満たされていた感覚。
今はまた、少しずつ、その頃の感覚へ戻ってきている気がします。
