今回は、グールディングズロッジの歴史をたどります。公式サイトの情報をもとにしながら、実際にその場所を訪れたときの記憶も重ねてまとめました。
モニュメントバレーの赤い大地。
映画の中で見ていたアメリカの原風景。
その風景が、どのように世界へ知られていったのか。
ロッジの歴史を知ると、旅の景色が少し違って見えてきます。
グールディング夫妻が見つけた、モニュメントバレーという場所
アメリカ映画の名匠、ジョン・フォードという映画監督をご存じでしょうか。
西部劇に詳しくなくても、その名前を聞いたことがある人は多いかもしれません。
モニュメントバレーを、西部劇の象徴的な風景として世界に広めた人物の一人です。
そのジョン・フォード監督に、モニュメントバレーの写真を持って会いに行った男性がいました。
名前は、ハリー・グールディング。
わたしたち夫婦がモニュメントバレーの旅で3泊お世話になった、グールディングズロッジゆかりの人物です。



ハリーは、羊の取引をしていた人でした。
新しい仕事の機会と、家と呼べる場所を探していたといいます。
1920年代初め、ハリーは妻のレオーネとともにモニュメントバレーを訪れます。
レオーネは「マイク」という愛称で呼ばれていました。
ふたりは、この土地に心を引かれます。
当時、モニュメントバレーの一部はパイユートの人々に関わる土地でした。
その後、土地の一部が売りに出され、グールディング夫妻はその機会を得て、広い土地を購入したとされています。
そして、トレーディングポストを始めます。
トレーディングポストとは、日用品や食料などを扱い、地域の人々と品物を交換する交易所のことです。
テントから始まった小さな交易所
グールディング夫妻の仕事は、最初から大きな建物で始まったわけではありません。
はじまりは、テントでした。
ナバホの人々と、食料や日用品、手作りの敷物、アクセサリーなどを交換していたそうです。
数年間、テントで暮らしながら働いた後、ふたりは半永久的な建物を建てます。
その建物が、現在のグールディングズ・トレーディングポスト博物館につながっています。


わたしたちが訪れたときは、残念ながら工事中で中に入れませんでした。
でも、旅にはこういうこともあります。
「また来る理由ができたのかもしれない」
そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなります。
土地の歴史に触れるときに、心に残ること
グールディングズの歴史を読んでいると、「リザベーション」という言葉に出合います。
日本語では「居留地」や「保留地」と訳されることがあります。
ただ、この言葉には、アメリカの先住民の歴史が深く関わっています。
土地をめぐる痛みや、外からは簡単に語れない背景もあります。


旅先で美しい景色に出合うと、つい感動だけを見たくなります。
けれど、その土地には、そこで生きてきた人たちの時間も流れています。
モニュメントバレーを訪れるとき、そのことを忘れずにいたい。
そう静かに思います。
ハリウッドとモニュメントバレーが出合うまで
1930年代、アメリカは大恐慌の時代にありました。
ナバホの人々の暮らしも、大きな影響を受けていたといいます。
そんな中、ハリーはある話を耳にします。
映画制作会社が、アメリカ南西部でロケ地を探しているという話でした。
ハリーは考えます。
映画撮影をモニュメントバレーに呼ぶことができれば、ナバホの人々にとっても収入につながるかもしれない。
そこでハリーと妻のマイクは、手元に残っていた60ドルとモニュメントバレーの写真を持ち、カリフォルニア州ハリウッドへ向かいます。
そして、運と忍耐の末に、ジョン・フォード監督に会うことができました。
フォード監督は、ハリーが持参したモニュメントバレーの写真を見て、次の映画のロケ地にふさわしいと感じたとされています。
数日後には、ジョン・ウェイン主演の映画『駅馬車』の撮影が始まります。
英語タイトルは『Stagecoach』です。
『駅馬車』から広がった西部劇の風景
モニュメントバレーへの旅が決まってから、わたしも映画『駅馬車』を見ました。
白黒映画なので、赤い岩山の色までは分かりません。
けれど、空に向かってそびえるシルエットはとても印象的です。


当時、この映画を劇場で見た人たちにとって、モニュメントバレーの風景はどれほど新鮮だったのだろう。
そんなことを想像しました。
赤い大地。
大きな空。
遠くに立つ岩山。
色がなくても、その土地の存在感は伝わってきます。
映画を通して、モニュメントバレーは少しずつ「アメリカ西部を象徴する風景」として知られていきます。
ロッジに残る、映画と旅人の記憶
その後も、グールディング夫妻は映画関係者、写真家、美術家、観光客を迎え続けました。
宿泊用の部屋やレストランも整えられ、グールディングズは旅人が滞在できる場所へと広がっていきます。
現在のグールディングズロッジには、宿泊施設だけでなく、博物館、レストラン、売店などもあります。
モニュメントバレーを訪れる人にとって、旅の拠点になる場所です。





派手さはありませんが、清潔で必要なものがきちんと整っている場所。
古さの中に、手入れされてきた時間が見える場所。
そんな印象が残っています。
グールディング夫妻が残したもの
1962年、トレーディングポストとロッジは、イリノイ州のノックス・カレッジに引き継がれました。
その後、ハリーは体調を崩し、1981年に亡くなったとされています。
妻のマイクは、晩年にモニュメントバレーへ戻ることができ、1992年に亡くなったそうです。
グールディング夫妻が見つけたのは、ただの観光地ではありませんでした。
赤い大地に広がる風景と、そこに暮らす人々の時間。
そして、その場所を外の世界へ伝える道でした。
もちろん、歴史にはさまざまな見方があります。
外から訪れるわたしたちは、ひとつの物語だけで土地を語り切ることはできません。
それでも、グールディングズロッジの歴史を知ると、モニュメントバレーの旅は少し深くなります。


映画の風景としてだけではなく、
人が出会い、働き、暮らし、旅人を迎えてきた場所として。
赤い大地の記憶が、静かに重なっていきます。
次は、モニュメントバレーの中へ
次回は、The View Hotel、そして実際にモニュメントバレーの中へ入ったときの様子を記録します。
遠くから眺めていた赤い岩山へ、少しずつ近づいていく時間。
旅の続きは、また次の景色へつながります。

グランドサークルの旅で訪れた場所を、少しずつ記録しています。
赤い大地をめぐる旅の続きも、よろしければご覧ください。
